【第15講座】ビジネスにおける行動力格差(前編)


2013年09月13日 (金)

今回は行動力格差について記したいと思います。

 

このところ、ビジネスマンのスキル格差を語る際に、行動力格差という言葉がよく出てきます。1990年代は知識格差、2000年代は情報格差、そして2010年代は行動力格差だそうです。

 

日本にMBA教育が根ざしていなかった1990年代には、アメリカのMBAで知識を多く得ているビジネスパーソンが重宝されました。逆に、日本のものづくりの知識を、欧米諸国はこぞって我が物にしようと学んでいたのもこの頃の話です。1990年代は、まだまだ国家間の知識流通が潤滑に行われていなかった為、知識の移転だけでも十分に価値がありました。

 

2000年代に入ると、インターネットによる情報革命が起こります。もちろんインターネットという技術は1980年代からありましたが、本格的に一般人のレベルにまで広がったのは、ブロードバンドが普及した2000年代です。インターネットの日本国内での普及率は2000年の30%台から始まり、2009年には80%に迫るところにまで成長しました。その間に、日本国民が総じて情報をインターネットを通じて得ることに馴染んでは来たものの、個人的な情報技術活用のスキルレベルはマチマチであり、そこに情報格差という名のスキル格差が存在したのです。

 

そして、2013年現在。

 

既にインターネットを利用しさえすれば、世の殆どの情報に対してアクセスできることは、ほとんどのビジネスマンにとって既知の状態になっています。商品情報や顧客情報、経営や会計、法律、ITの知識、その気になれば何でもインターネット上で入手可能です。スマートフォンやタブレット等のユーザーインターフェイスも充実したので、だれでもどこでも情報にアクセスが可能となり、ユーザーのリテラシーの格差による情報格差はなくなってしまったと言って良い状況です。

 

そこで現れてきたのが行動力格差という言葉です。知識や情報による格差は既に科学技術により埋まってしまいました。それならば、行動力という人間の意思が反映するビジネスリテラシーによって格差を生み出そうとしているわけです。

 

確かに、行動力というものは個人差がでます。なぜならば、行動というのは実に億劫な存在だからです。「知っていると出来るということは違うことだ」とはよく言ったもので、成功する方法をなんとなく書籍等で読み知っていたとしても実行に移さないということは古今東西人類の大多数が体験したことのある事実でしょう。

 

行動力という存在は普遍的な人間のテーマであり、古よりその重要性は何度となく語られてきたものです。知識や情報の入手も確かに自らの意思なしに行われるものではありませんが、行動し、それを継続するとなると、明らかに知ることよりもハードルがあがるのは間違いありません。

確かに、この人間にとって億劫な「行動」という存在が、知識や情報が満たされた時代だからこそ再度クローズアップされるのはわかるような気がします。

 

随分と前のプレイヤーですが、サッカー日本代表の北澤選手や森島選手といった小兵ではあるものの、行動量の多い選手はたしかにピッチに出てくると何かをやってくれそうな期待を持たせてくれたものです。現在では長友選手あたりが、そのDNAを継ぐものなのでしょうか。

確かに、シュートが枠の中に入ることは少なかったかもしれませんが(失礼)、とにかく動きまわってボールに絡みにいく事で、新たなチャンスメイクをすることは、動かない選手に比べると圧倒的に多かったといえるでしょう。小兵故、そこに活路を見出し、体力に任せてとにかく行動量を増やす。その効果たるや、少なくとも身体的に恵まれない両選手が日本代表のレギュラーポジションに選出されている事実を考えても実証されていると言えなくもないですね。

 

行動するということは、当然失敗のリスクを伴います。失敗のリスクは行動量が少ない場合と同じだとしても、失敗の絶対量は増えていきます。もし「半沢直樹」のように、一度の失敗で島流しというような環境にいるならば、できる限り行動はせずに大人しくしている方が身のためですが、現実の世の中はそんなに捨てたものでは無いはずです。

 

行動量を増やすことで、失敗の絶対量は増えますが、当然のことながら成功の絶対量も増えます。成功をやり直して失敗に向かうというベクトルは働きませんが、失敗をやり直して成功に向かうというベクトルは、いくらでも向けることが出来ます。したがって、失敗から学び新たな行動さえ起こすことができれば、必ず成功率のほうが逓増していくのです。そこが行動量を増やすことのほんとうの意味です。行動が少ない場合と行動が多い場合、成功の確率は一定ではなく、失敗から学んで再チャレンジする行動を取ることができれば、確率をも凌駕するということなのです。

<中編に続く>