【第12講座】【日々雑感】ドラマ 半沢直樹で考える「ワルモノ」論


2013年09月05日 (木) default

ドラマ「半沢直樹」が大ヒットしていますね。

悪い奴にたいしてのわかりやすい勧善懲悪のストーリー展開と、現実では中々出来ないワルモノ上司への敵意丸出しの反抗の気持よさが好評を博しているようです。確かに見ていてスカッとしますね。私はお恥ずかしながらちょっと武者震いをしながら見ています。

 

そして勧善懲悪のスカッと感ををもう一つ後押ししているのは、金融庁・国税庁・都市銀行といった日本におけるエスタブリッシュメントの、しかも権力階層がワルモノになっている点であるような気がしています。若干なりとも羨ましいと感じる職業・立場ですから、嫉妬心も後押しし通常のワルモノよりも一層、熱を入れて主人公である「半沢直樹」を支援してしまうのではないでしょうか?

 

さて、この「半沢直樹」の内容、随分とデフォルメをしたフィクションとはいえ、元銀行員が書いている作品です。どこまでがデフォルメで、どこまでが真実としてありうるのかについて非常に興味がそそられます。

 

残念ながら、私の身近には現役都市銀行員がいませんので知るすべが無いのが残念なのですが、「部下の手柄は上司のモノ、上司の失敗は部下のもの」などという馬鹿げた文化は、完全なるフィクションではないような気がしています。まさかそんな文化がまことしやかに根ざしているとまではさすがに思いませんが、元銀行員の作者があそこまでリアルに描写していることを考えると、遠からずなのかもしれないなと感じざるを得ません。

 

はたして現役の銀行マンの皆様は、「半沢直樹」をどのような思いでご覧になっているのでしょうか?『わかるわかる!』なのか『んなわけ無いじゃん!』なのか。

 

特に、銀行の役員や支店長や人事、金融庁の調査官などがどのような心持ちで見ているのかを知りたいところです。『わかるわかる!』では一経済人として、銀行不信になってしまいそうなのですが・・・。

もし、万一ドラマのような文化が少しでも現実のものだとするならば、誰が見てもおかしな組織ですよね。

・一度失敗したら(失敗をなすりつけられたら)、完全に片道切符の出向。
・偉い人の腰巾着のように立ち居振る舞い自己保身に走る中間管理職たち。
・合併前の組織にこだわり、派閥争いに執心してお客様をないがしろにする行員たち。
・組織の権力を傘にきて、弱い立場の人に偉そうに振る舞う人間たち
・自己保身と栄達欲の為に、部下に責任をなすりつける上司たち
・夫の会社内での立場で序列が決まる主婦達の会合

恐らく視聴者の大多数は、「馬鹿げているなぁ」と思いつつご覧になっているのではないかと思います。もちろんテレビ側の演出も「馬鹿げているなぁ」と思ってもらえる様に書いているのは明らかです。

その「馬鹿げた」人たちは、テレビドラマというエンターテインメントの常套手段として、「ワルモノ」として描かれていますよね。『馬鹿げたワルモノ』として。そして、そのワルモノ達が、カッコ悪い組織を作り出す元凶であると表現されているのです。

ということは、もし現実の銀行や金融庁の中でこの「馬鹿げた」組織や行為が少しでもあるとするならば、現実社会にも「ワルモノ」がいることになります。なぜなら結果には必ず原因があるからです。馬鹿げた組織や行動が存在するなら、そこには「ワルモノ」がいるのではないかという構図ですね。

先ほど書いた、銀行の役員や支店長や人事、金融庁の調査官などの悪者役で出てくる部署の該当役職の方に聞いてみたいところです。「あなたはあのドラマに出ているワルモノですか?」と。

 

恐らく、現場の人が疑問や不愉快さを持っているならば、それは上司のせいと言うような気がします。
自分がカッコ悪い組織や行動を作り出す側にいるとは誰もが思っていないはずです。

上司である課長に聞いてみたら、やはりその上司である部長のせいだというような気がしています。
部長に聞いて見たら、上司の役員のせいだと言うかもしれません。
役員に聞いてみるならば、頭取のせいだというかもしれません。

 

では、頭取はどう応えるでしょう?
恐らく、先代や過去の頭取、あるいは脈々と流れてきた歴史的背景のせいにするかもしれませんね。

 

あのドラマを見て反省をして、明日からの自分を正さなければならないと考えている関係者はいないのではないかと思うのです。しかし誰も「ワルモノ」がいないにもかかわらず、なぜかカッコ悪い組織や行為はなくならない。不思議なものです。「ワルモノ」がいないのに馬鹿げた組織や行為がなくならないのは何故なのでしょうね。

 

一方、ドラマの中の「ワルモノ」であった浅野支店長は完全にワルモノだったのでしょうか?私は、彼の奥様やお子さんに見せる笑顔は「ワルモノ」のそれではなかったような気がします。
ということは、彼の一部が「ワルモノ」であり、全てが「ワルモノ」ではなかったと言う解釈が正しいのかもしれませんね。(人事部小木曽次長は完全なワルモノとして書かれていますが。)

 

そう考えると、存在全てが「ワルモノ」である人物というのはそうそういるものではなく、一部だけの「ワルモノ」、だからこそ自分の立ち居振る舞いに存在する「ワルモノ」に気づかないのではないかという仮説が成り立ちます。

 

自分たちの中にあるほんの少しの「ワルモノ」の部分が顔を出す事によって、組織や集団の行為は少しずつ歪んでいく。しかし当の本人たちは自分が「ワルモノ」だとは微塵も思っていない。

 

ここに組織論の難しさが有ります。

 

誰が見てもおかしな組織上の出来事に対して、自分の責任であると反省する人が誰もいないのでは、改善の方向性は見えませんよね。それが積み重なって大きな組織のひずみになっている様に思います。

 

半沢直樹を見て、自らの立場を考え、”自分は彼ら「ワルモノ」達よりはマシかもしれないが、部分的には馬鹿げた「ワルモノ」達と同様の行為をしている。明日からは少しでも改めてみよう。”と思う人が少しでも増えれば、組織の持つ悪しき慣習の払拭への第一歩。

 

特にえらい人であればあるほど組織への影響が大きくなります。逆にえらい人に自己反省なく、全て「ワルモノ」である自分ではない誰かさんのせいとしているなら、既にその組織は死に体であると言っても良いのではないでしょうか。

 

とはいえ、大手都市銀行やお金に絡む官僚組織に身を置く人々だけでなく、全ての社会人が社会を作り出す一構成員として、少なからず自己反省をしながら半沢直樹を見るならば、日本における悪しき組織文化の払拭はそれほど遠い未来ではないと思う次第です。